インタビュー
稲垣典年さん
佐川町にある牧野公園のリニューアル整備計画発案者の一人で、町内各地で群生している貴重植物の説明をしたり、栽培方法などの指導をしている植物のスペシャリストです。
竹田恒夫さん
2014年、牧野富太郎生誕150周年を記念して行われた牧野公園のリニューアル整備計画から、佐川町の植物のまちづくりに関わっています。
場所:佐川町 牧野富太郎ふるさと館・牧野公園

土木コンサルと
牧野植物園研究員

お二人は30年来のお付き合いとのことですが、そのきっかけは?

 

竹田

もうリタイアしましたが、私は土木コンサルの人間なんですよ。山を削って道路や橋の設計に長年携わってきました。植物の側からすれば破壊する側だったわけです。
でもそこには当然、植物が生えているし、貴重な植物が生育している場合だってあるのに、工事になるとあっという間に伐採されて無くなってしまう。植物のことなんて、そんな事気にする人なんて、当時はほとんどいなかった。自分としてはそれがどうしても納得がいかない。
誰かに相談したいと思って牧野植物園に問い合わせたら研究員の稲垣さんを紹介してくださった。その時に「ここに道路を作るのだけど、何か希少植物があれば保護したいので教えてください。できれば一緒に現地に行って教えてもらえませんか」とお願いしたのが始まりです。そこから毎週、植物調査や観察会に出るようになりました。

 

稲垣

今でこそ開発規模によりますが環境アセスメントという事前調査がありますけど、30年前、そういう自然破壊する側からのご相談というのは初めてだったので驚きましたね。

 

 

土木の開発をしている人が、道の横に何か希少な植物があるんじゃないかと相談しにいく。そこからすでに面白いですね!

 

竹田

その土木コンサル時代、道路の設計ルートを変えた事例が2つあります。
その一つが大月町の柏島に続く道。大きな道ができていますが、牧野富太郎が明治14年、19歳の時にこの道を通って「アコウ」という亜熱帯植物を見つけているんです。そのアコウの木がちょうど設計ルート上にありました。
稲垣さんに一緒に見に行ってもらって、ここはいわゆる牧野富太郎の聖地だよね、そのアコウを伐るってことはないだろうと。それで勝手に私が設計を起こして行政に持って行ったんです。道路にこういうカーブを入れてアコウの木を残してください、制限速度は40キロだけど、ここだけ30キロにしてくださいと陳情した。
土木のコンサルのぼくだけが話に行っても理解してもらえないので、植物の専門家である稲垣さんに同行していただいてサポートしてもらった。その結果、ルートを変えることができ、アコウの木は残った。その木は今も残っています。行政の担当者、今でも名前は憶えていますが、とても理解のある方でした。

 

稲垣

牧野さんは高知県をすべて歩いていますから、このアコウのように牧野さんが見つけた草花や樹木も多いんです。
15年ほど前から竹田さんとその牧野の歩いた道を2人で辿って歩き、そこで見つけた植物を探して「牧野富太郎が歩いた道」として復元し、追体験する活動をしています。
今のところ、地域に提案して実現しているのは大月町と三原村、牧野富太郎の聖地の佐川町だけですけどね。

 

竹田

牧野さんが見つけた植物を同じ道を辿って見られるという感動は、すばらしいんです!牧野さんが歩いた道に分け入り、植物の楽しい世界を多くの人々に体感してもらい、そして、牧野さんの植物へのほとばしる愛情を、今に生きる人々と共有できるようにとの願いを込めて取り組んでいます。大月町の「月光桜」は観光スポットとしてすっかり有名になりましたけど、それも牧野さんのおかげです。

 

 

まきのさんの宝物は、
フィールドにある。

 

 

稲垣

以前、牧野植物園の園長だった山脇哲臣さんと四万十町興津の三崎山に行ったとき、サクラを見ました。そのとき哲臣さんが、そのサクラを見ながら「昔、牧野富太郎が足摺で見た“アシズリザクラ”がここにもある」と言っていました。
大月町から桜をいっぱい植えたいがどうだろうかと相談があった時に、そのことを思い出した。高知は暑いところだし、あまり一般的に出回っている桜はよくない。
でも牧野さんが言ったその白い桜なら長生きするだろうと。それで花の時期に大月町の建設課の人たちと一緒に30人ぐらいで桜を探しに行ったんです。

 

竹田

そしたら、ありました。清王(せいおう)という地区に根元から二股に分かれた桜があり、長沢地区には樹齢130年以上の一本桜があった。ちょうど桜の後ろから、わあっと満月が上がってくる。それは感動しました。それで私は「月光桜」というふうに名付けたんです。

 

おおっ。すばらしいネーミング。
ロマンですね。

 

竹田

そう、ロマンですよ(笑)

 

稲垣

山桜で1本残っているのは山里の裾野によくあります。桜は昔でいう「農事暦」でもある。
桜は新月から満月に向かって花が開き出すので、その自然の摂理がわかっていれば満月がいつになるのか当てられます。
田おこしやタネまきなどを知らせる暦(こよみ)・温度計でもあった。だから地元の人も大切にしたんでしょうね。桜のそばに小さい祠もあったりします。

 

 

その農事暦になるような桜、
佐川にはないのですか?

 

竹田

いや、佐川にもあります。私と稲垣さんが歩いて見つけてあります。でも誰も相手にしてくれないから(笑)
牧野先生の本質というのはフィールドなんですよ。「草を褥に 木の根を枕 花と恋して九十年」なんです。そのフィールドに今は稲垣さんがいる。私はそこに惚れているんですよ。顕微鏡じゃないんです。常にフィールドなんです。だから牧野さんの宝物も全部、フィールドにあるんです。

稲垣

特に佐川は牧野さんの聖地ですからね。私は高校生の頃、絵を描くのが好きで植物採集もしていたので教師に進められ、京都大学で牧野博士と同じ植物分類学を学びました。牧野植物園に入園する前は東京大学の小石川植物園の文部技官だったのですが、牧野さんはこれを独学でフィールドから学んだというのはすごいですよね。

 

フィールドに出る時は、牧野さんのように蝶ネクタイに背広で?

 

竹田

そこなんです(笑)
私は稲垣さんのことを「平成の牧野富太郎」だと思っているんです。私の師でもあるんです。実は有志で資金を出し合って稲垣さんに蝶ネクタイとスーツをプレゼントしたんです。佐川町で「牧野富太郎の聖地を歩く」というイベントの際には正装してもらっています。

 

稲垣

コロナの影響もあって最近はやっていませんが、私は正装して植物に会いに行くのは窮屈なだけかな(笑)

 

 

 

まきのさんのまち

 

 

牧野富太郎の聖地である
佐川を歩いてみると、どんな発見が?

 

竹田

牧野さんが一番最初に出版した「日本植物志図篇」に載せている植物画のほとんどは、ここ佐川で写生しています。
牧野さんの青年時代を凝縮した場所が佐川なのです。ヒガンバナやサギソウ、ヒメノボタンなど、牧野さんがここで見た植物が現存しているんです。今、2人で牧野さんがヒメノボタンを見つけたであろう場所を特定して、そこにヒメノボタンを増やしに行っています。

 

稲垣

サギソウは高知県では絶滅していると言われてますけど、牧野富太郎が植物画に描いた佐川町斗賀野の湿地帯に行ってみると、今もあるんです!
地元の人に聞いたら十数年前まであったと。まだ十数年前まであったら死んではいない。花を咲かせずに細々と生きていると思います。それも2人で行ってサギソウを復活させようと思っています。

 

竹田

その道の途中に牧野さんが命名した「シハイスミレ」がポツポツ咲いている。そういう牧野由来の植物が見つかると、そこが牧野さんの道になるんです。
今、佐川では牧野少年が植物観察で歩いた道を6コースほど選定しています。道を歩きながら、牧野命名の草花をルーペで覗いて見たり、植物図と対比しながら実物を見たりするのが一番の楽しみ方かなと思います。景色が違います。

 

牧野さんゆかりの金峰神社を含め、牧野の道には当時の植物はまだ残っていますか?

 

稲垣

全部あります。残っています。でも環境が変わっているから私が初めて見た時からいえば、1/10ぐらいに大きく減っています。バイカオウレンでいえば、整備して明るくなったから復活するかもしれません。電気やガスに代わって里山の木を切らなくなったから、森は深くなって里山という昔の風景は無くなった。それとともに植物の種類も1/10ぐらいになっています。

 

竹田

それでも残っているのは道があるから。日が当たる道ぶちには残っているところが結構あります。牧野の道を意識して作ってやってきたことは復活する可能性もあるということ。

 

稲垣

牧野さんは全国を歩いていますから、こういう牧野の道のルートを全国に作って復活させたい。そうしたら聖地である佐川に行ってみようと佐川に人が来るようになったら面白いでしょう。わざわざ佐川に来ないと見られない花があるんです。

 

 

佐川で好きな場所はどこですか?

 

竹田

私は虚空蔵山から斗賀野の盆地を俯瞰したときの風景が好きですね。風景の真ん中をJRの線路がずうっと斜めに走っている。ああいうところは滅多にありません。冬場は雲海が見えます。

 

稲垣

皆さん、虚空蔵山から太平洋側を見るけれど、反対側の斗賀野盆地への景色は確かによいです。春日川の湧水もあります。虚空蔵山からの伏流水となって川底から水が湧き出ています。

 

竹田

私、自費で高知県にその水の成分分析をしてもらったことがあるんです。軟水でお茶とかコーヒーにいい。分析結果を町に提供していますから町おこしの起爆剤にしてほしい。

 

わき道の風景

 

 

竹田

今、植物の大切さが軽視されているように思うんです。たとえばチューリップを1万本植えた、何万本植えた、それで集客しようとしているけれど、私は嫌だから絶対に行かない。そういう一年限りの草を植えて花が終わったらトラクターで全部耕して捨てて、また新しいのを植える。
もうそういうフロー型の植栽ではなく、ストック型の植栽にして多年草や宿根草を植えていこう。牧野さんはそういう植物もたくさん見つけていますから。
牧野公園の植物はそれが原点。牧野さんのまち、植物が中心のまちとしての原点ではないかと思っています。

 

稲垣

私は1970年に高知に帰ってきた時に初めて牧野公園を見ました。お墓があるから当然かもしれないけれど、牧野公園と言いながら牧野さんに関係の植物があるわけでもなく、ソメイヨシノぐらいしかない。
ソメイヨシノだと1年のうち1週間ぐらい花見に人が来るだけで、残りの360日は利用しない。それではいけない。
一年中利用できるようなところにしませんかと佐川町に提案したのですが、当時は全然相手にしてくれませんでした。

 

竹田

いみじくも5-6年前、ランドスケープデザイナーでイギリス人のポール・スミザーさんを牧野公園にお招きしたのですけど、そこで我々にとっては当たり前のシダ類を見て感動されたんですよ。
「こんなシダをイギリスに持って帰ったらすごい」と。その視点の違いにびっくりしました。新たな視点で見れば、まだまだ地域のよいもの、宝物がいっぱいある。
国土交通省の地域への補助事業の一つに「シーニックバイウエイジャパン」というのがあります。脇道にある風景という意味です。北海道で盛んに実践されており、「北海道ガーデン街道」もそのひとつです。全国的にそういう植物に関するイベントに視点が変わってきたというふうに、我々は思っていますけど。

 

 

稲垣

ここ佐川には牧野富太郎が歩いた道が物語としてありますからね。その物語を脇道の風景として紡いでいけると思います。

 

竹田

これからの観光は目的地に早く行って、そこでゆっくりと過ごすという観光のあり方が求められると思います。
日本人のゆったり感や、癒しの効果もある植物は、観光の財産であるのではないかという気はしますね。「遅い交通」と言いますか、牧野の道を歩くというのは遅い交通になるわけで、植物を見ながら楽しむ観光のあり方が、これから重要なテーマの一つだと私は思っているんです。

 

心惹かれるのは牧野さんにですか?
植物にですか?

 

稲垣

私の場合は偶然、牧野植物園というところに就職したことが、牧野富太郎に関係がある植物を収集しようという始まりなので。それに植物を学ぶものにとって牧野富太郎は今でも一番でしょう。
その後、東大の分類学の教授が何十人といても牧野さんのように世に出て来ないんです。全国を回って日本中の植物を見てきているし、一般庶民もリードしてきている。そういう意味で全然ケタが違います。

 

竹田

私はね、稲垣さんなんです。牧野さんというより稲垣さん。稲垣さんの向こうに牧野さんがいます。
稲垣さんはね、植物のことなら何でも答えてくれるんですよ。観察会などで狭い山道を一列になって歩いていると、前の方で質問をしても後ろに聞こえない。するとまた、同じ質問がまた来る。
その繰り返しです。牧野さんもそうであったように、稲垣さんも嫌な顔もせず同じように親切に答えてくれます。

 

稲垣

聞かれたことは忘れる。いつも初めて聞かれるようなつもりで言っています。あとで考えればそれが復習になりますし。
でも最近は聞かれてもすぐに名前が出て来なかったり、10分ぐらいして思い出すことが増えてきました(笑)

 

竹田

そう、いつも復習だとおっしゃる。

 

稲垣

竹田さんは私のことを師だと言ってくれますが、竹田さんはいろんなことを提案してくれて、それをきちんと文章にもする。
大学の教授を思わせるような結果が返って来るんですよ。そういうところを尊敬しています。

 

 

これからもこうやって
お2人で歩き続けたい。

 

竹田

私はしたいですね。いつまでも。

 

稲垣

日本中の植物を全部見たい。常に次はどこに行こうかを考えているんです。

 

竹田

何か追い求めるものがある。目的はやはり、その花を探して見つけることですけど、それが見つかった時の喜びを味わいたい。牧野少年が初めて目にした植物との出会いに心躍らせた日々の鮮やかな情景に、私もどっぷりと浸りたい。単純な目的なんです。

 

 

 

佐川町に人のタネを蒔く

 

 

竹田

牧野富太郎生誕150年の時に、イベントをやりませんか?と我々が呼びかけた。
来年で10年になります。佐川まるごと植物園、私たちが提案してきた植物が中心のまちづくりでもあります。物事をなんでも成就するためには絶対に10年はかかる。そこは皆さんに初めから言い続けて来たことです。

 

稲垣

この10年の間、町内の各地域で植物の群生地を町民の皆さんと歩いたり、植物のタネを渡して育ててもらったり、栽培方法などを指導してきました。
これからは地元がどうやるかです。何をやるにも人が育たないとどうしようもない。「人を作る」それが大事。その人のタネがようやく育ちつつある感じがしています。

 

竹田

あとは地元の人たちの頑張り一つなんですよね。地元の方達に徐々に我々の思いを受け止めていただいて引き継いでもらうことが一番。ここが重要なポイントです。
我々が探した佐川の宝物を自分たちのものとして、町の宝として受け止めていただいて「よし、頑張ろう」と思っていただけると嬉しい。そのポイントはやはり、女性です。女性が頑張ってくれています。もう大丈夫なんじゃないでしょうか。

 

稲垣

たとえばチューリップを好きだから庭に植える。それは個人の自由だからいいんです。でも、公共の場は佐川の植物にしてほしい。訪れる人は佐川の植物を見に来るんです。
それに応えられるだけの植物の種類はいっぱいあります。よそにないものがいっぱいあります。佐川の代表的な植物を決めるとか、そういうことをすると佐川らしくなります。

 

竹田

東京や京都から、こういうものを見たいと高知にくる植物好きの方がたくさんいるんですよね。
高知市からだったら、佐川はわりと近くて植物がたくさん見られる。毎年、北海道から佐川にジョウロウホトトギスやバイカオウレンを見に来る人もいます。

稲垣さんと30年間こうして一緒にやってきて、最終的には「ガーデンツーリズム」をやりたいなあ。それが私の夢。
牧野富太郎の道、聖地を歩く、あるいは大月町の道を歩く、三原村の道を歩く。四万十市にはトンボ公園がありますよね。西から東の室戸までそういう自然との関わりのある公園を結んでツーリズムとして観光を誘致していったらどうかなと。
聖地佐川のみなさんが主導権を持って、ガーデンツーリズムを実現してくれたら嬉しいかな。