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チョウノスケソウ
に感動の再会
富山県
まきのさんを講師に迎えて、立山植物研究会が開催された。同行者が「先生が名前をつけられたチョウノスケソウはまだ健在です」とチョウノスケソウのもとに案内すると、まきのさんは「名付け親がきたぞぇ」と腹ばいになって頬ずりした。
1858年に江戸幕府が日米修好通商条約を結んだあと、つづけてオランダ、ロシア、イギリス、フランスと条約を結び、1859年に函館や横浜などの港が開港した。
まきのさんが敬愛するロシアの植物学者マキシモヴィッチは、日本開国を知り、1860年函館港に来航し、3年ほどかけて日本の植物調査をした。当時の日本はまだ、外国人は港を離れて内陸に向かうことはできなかったため、日本人を雇って植物採集をさせていた。そこで雇われたのが須川長之助だった。
長之助は実直な働き者だったので、マキシモヴィッチにとても信頼された。マキシモヴィッチに同行して長崎・横浜などに寄港し各地で採集した。マキシモヴィッチが帰国後も依頼されて、日本各地を採集してまわった。
チョウノスケソウは、長之助によって発見され、マキシモヴィッチに標本が送られたが、学会で発表する前にマキシモヴィッチは亡くなってしまった。
のちに、長之助が日本に残した控えの標本を見たまきのさんは、29才のとき「チョウノスケソウ」と和名をつけた。