高知県佐川町

佐川の土井謙護の寺子屋に行き、習字を学ぶ。そこでイロハから習った。

その後、佐川の目細という場所にあった伊藤蘭林という先生の寺子屋で習字・算数・四書・五経を習った。

明治時代になり町人にも学問が開かれたため寺子屋に入門したが、門弟のほとんどが武士の子供で、このときはまだ武士と町人の区別が残っていた。

たとえば、昼食のとき、あいさつが決まっていて、武士の子供は町人の子供に対して「下組の人許してヨ」といい、町人の子供は武士の子供に対して「上組の御方御免」といって食事をした。

この頃から、まきのさんは植物の採集や観察をはじめた。