東京都

日本の植物誌をつくることを志したまきのさんは、印刷屋で働いて技術を身につけ、ついに『日本植物志図篇』第1巻第1集を出版。植物図の図版はすべて自分で描き、日本橋の印刷屋で石版印刷をした。

植物の知識があり、精細な植物図を描くことができ、印刷の技術も身につけ、自費で出版する実行力のあった、まきのさんだからこそできた偉業だった。まきのさんの自叙伝では「私の考えでは図の方が文章よりも早わかりがすると思った」と書かれている。

東大助教授の松村任三は大絶賛し、「余は今日只今、日本帝国内に、本邦植物図志を著すべき人は、牧野富太郎氏一人あるのみ」と批評文を書いた。