山梨県穂坂村

まきのさんは疎開する必要はないと思っていたが、ついに空襲がほぼ毎日起きるようになり、家の門のまえに爆弾が落ちたことをきっかけに疎開を決めた。

新宿駅から汽車に乗り、韮崎駅で下車。東大の研究室にいた3名が、まきのさんをリヤカーにのせて疎開先へ向かった。東大の学生だった篠遠喜人の親戚である、穂坂村のかつて村長だった横森さんの蔵の一室を借りて疎開中を過ごした。