東大を追われたまきのさんを再び呼び戻してくれたのは、松村任三教授。このとき、まきのさん31歳、東京大学の「助手」としての復帰でした。民間から大学に入って教官となったのは、これまた初めてのことです。

しかし、そこでも嫉妬から松村教授がまきのさんを罷免しようとし、48歳で再び東大追放の危機に。50歳の時に牧野休職の反対運動が起こり、今度は「講師」に出世してカムバックを果たします。どんなに不遇な目に遭っても、どうしても植物の研究を続けようと思えば、この東京大学というところを離れるわけにはいかなかったのかもしれません。

しかし、まきのさんの波乱万丈は続き、77歳の時に東大を追われることになります。講師に定年がないため、高齢になっても研究に情熱を燃やしていたまきのさんに、大学は失礼な言葉を浴びせて辞職を迫ったのです。まきのさんもさすがにカンカンとなり、なかば辞表を叩きつけるようにして大学を去ります。植物学の某教授がまきのさんの追い出し策を講じたようだという疑惑が囁かれていたようです。