まきのさんが生まれ育った佐川町は、昔から文教の盛んな土地柄でした。酒造業を営む「岸屋」という大商家の一人息子だったまきのさんは10歳頃から寺子屋で学び、11歳で「名教館(めいこうかん)」という塾に通うようになります。岸屋は町人ながら脇差をさすことを許されていて、武士の子弟に混じって学ぶことができたのです。

しかし明治7年 (1874)に学校制度が始まり、12歳で小学校に入学することに。すでに英語や地理、天文、物理、化学など高等な科目まで学んでいたまきのさんにとって、小学校の授業はもの足らず、2年で自主退学を決意します。小学校中退。これがまきのさんの最終学歴となりました。

早くに両親が他界し、祖母に大事に育てられたまきのさんはそれ以降、「天然の教場」である野山に通い、植物を眺め、その草花を解剖して花の構造などを独学で学びながら知識を重ねていったのです。

そして面白いことに明治10年、15歳になったまきのさんはその佐川小学校の臨時教員となり、2年間務めています。余談ですが、まきのさんが学問で身を立てることを決心した動機は、この少年時代に読んだ福沢諭吉の「学問のすすめ」という本を読んだこと。やはり早熟な天才だったのですね。