名は富太郎だけど、貧太郎だと自分を笑うほど、まきのさんには貧乏とお金の話が付きまといます。まきのさんが、東京帝国大学理学大学に出入りするようになり、ようやく「助手」として正式に採用されたのは31歳の時でした。

その初任給が月給15円。その助手から講師に昇格したのは50歳の時で、月給もようやく30円になっていますが、それまでの20年間、月給はずっと15円のまま据え置き状態でした。

まきのさんはお喋りも楽しい人で採集会や講演会はとても人気があり、その謝礼による副収入もありましたが、とてもまかなってゆけるものではなく、「左の手で貧乏、右手で学問を戦う」日々だったと語っています。そしてまきのさんが東大を辞職した77歳そのころの月給は75円で、大学講師としては最高の月給取りで異例中の異例だったとも言われています。